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THINGS I LOVE vol.7

2025.07.03feature

 

 GUCCIの話で言い忘れたことがある。

 1996年の確か3月頃だったと思うのだが、トム・フォードが東京へやって来た。GUCCIのファッションショーのために来たのである。スタッフ他、モデルも連れて、総勢100名近くで来日した。今では考えられないことだが、SNSもYouTubeもなかった時代に、ミラノで発表したコレクションをメンズ、ウィメンズ合わせて一遍に東京でコレクションを見せるという超ビッグイベントだった。コレクション熱もラグジュアリーブランドブームもなかった時代のこの出来事は、ファッションの今後を予見させるに十分なインパクトを見せつけた。

 僕は雑誌『BRUTUS』で、トムのインタビューをしたり、コレクションのルックを撮影したり、 TV番組『ファッション通信』(後にレポーターをすることになる)の取材を受けたりというかたちでそのイベントを取り上げた。このプロジェクトは、とにかくやること全てが豪勢で、トム・フォードのGUCCIリブランドの成功が音を立ててアプローチしてくるような出来事だった。
 それも終焉に近づき、この東京イべントの成功を祝うパーティーが、パークハイアットのニューヨークバーで行われた。僕は当初、パーティーが開かれることも知らなかったのだが、『BRUTUS』でインタビューなどを行って、トム・フォード本人とも話をしたりはしていた。そしたらパーティー当日の昼過ぎに、当時のPRだったマリさんから「祐ちゃん、今晩空いてない? トムのパーティーに来てくれない?」とお誘いがきた。聞けば、業界のお偉方ばかりに囲まれてのパーティーをトムが嫌がっているとのことだった。
 時の人であるトムの誘いを断る理由などどこにもなかったのだが、この日に限って、コマーシャル(某大手化粧品会社)の打ち合わせが7時から入っていた。さて、どうしようか? とりあえずパーティーの方に「行きます」と返事をして、それから打ち合わせをどうするか考えた。今ならリモート会議が可能だが、当時はそうはいかない。しかも、打合せは超やりたかった化粧品会社のコマーシャルである。
 しばらく迷ったが、トム・フォードが勝った。スタイリストの友だち、野口強さんと馬場啓介さんを誘って、3人でそのパーティーへ向かった。パークハイアットのニューヨークバーへ行くには、途中でエレベーターを乗り換える。何だかその時間がやたらと長く感じ、パークハイアット特有の静けさに緊張が高まった。その時、僕はDOLCE & GABBANAのキャメルのPコートを着ていて、それもミスったなという気持ちがあった。野口さんはライダースで馬場さんはMA-1を着ていたと思う。当然、誰もGUCCIは身につけていなかった。急だったから・・・。

これが大胆にもGUCCIのパーティーに着て行ったDOLCE & GABBANAのPコート。

 到着すると、マリさんが待ち構えていて「あっ、祐ちゃん、こっちこっち」と案内され、そこにはトム・フォードご一行が。男子ばかり10名〜15名ほどがコの字に大テーブルを囲んでいた。あれれ、これ完璧に身内の打ち上げやん、と思ったが、トム様は我々3人を歓迎してくれて、それぞれ指定されるままに、ばらばらに席に着いた。
 僕の隣にいたトム様は、「今回の東京イベントは大成功!」とご機嫌だった。そして、左腕をあげて、「この時計を見て。これは今回のプロジェクトの成功の証で、チーム全員にプレゼントしたものなんだ」。なんと、それはロレックスのサブマリーナだった。えっ!チーム全員分プレゼント⁇「すげっ!」。そこにいた男子全員が、そのサブマリーナをしていて、一斉に腕を上げて見せてくれた。
 ワールドワイドブランドの成功とはこういうものなのか、と肌で感じた瞬間だった。ラグジュアリーブランドのパワーと、トム・フォードの生き方に痺れた。ショーに関わるプロデューサー、ディレクター、他スタッフ全員がトム・フォードのGUCCIスーツとシャツに身を包み、サブマリーナをしている。靴は、全員パテントのビットモカシンだった。アメリカンならではのユニフォーム感覚と派手なチームワークに圧倒され、パークハイアットのニューヨークバーでの時間は、あっという間に過ぎた。

 時計を見ると8時を過ぎている。「やばっ」化粧品会社の打合せが・・・。突然我に返り、代わりに打ち合わせに行ってくれているアシスタントに連絡すると、「みなさん、祐さん待ちです。ぼちぼち限界です」「わかった。今すぐに行く!」。トム・フォードのオーラに後ろ髪をひかれながらその場を去ることに。孫悟空が筋斗雲に乗るが如くタクシーに乗り込み、化粧品会社のミーティングへ向かったのであった。
 タクシーの中で、僕はトム様とのひとときを回想していた。“マイハズバンド”と紹介されたリチャード・バックレー氏は、ミラノやパリでいつも見かけるジャーナリスト。初めてのパリコレ会場で、不安MAXだった僕に「日本から来ましたか?」と優しく声をかけてくれた人だ。リチャード・バックレーはトム様同様アメリカ人でNY出身。ルックスはトール&スマートで、ヘアもプラチナの七三分け。一見、シャープで尖った印象なのだが、リベラルな性格で日本人にも分け隔て無く接する態度に僕は以前から好感を持っていた。そんなリチャードさんにきちんと挨拶ができ、トム様とも取材ではない話があれこれできたこの夜会は、僕にとってはひとつのターニングポイントであり、貴重な体験であった。

 その後、広告のミーティングへ大遅刻で駆けつけたわけであるが、ミーティングルームはどんよりと暗いムードだった。とにかく最初に「すみません!」と頭を下げて詫びまくった。僕が衣装の製作内容について説明をすると、監督他、制作チームからは何の注文も異論も出ず、あっさり5分でミーティングは終わった。

何とも、怒濤の半日であった。

シルクハットはhaute mode KIJIMAでオーダーしたもの。

■祐真朋樹(@stsukezane
1965年京都市生まれ。マガジンハウス『POPEYE』編集部でエディターとしてのキャリアをスタート。現在は雑誌のファッションページの企画・スタイリングの他、アーティストやミュージシャンの広告衣装のスタイリングを手がけている。コロナ以前は、35年以上、パリとミラノのメンズコレクションを取材していた。

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