THINGS I LOVE vol.19
2025.12.18feature


1998年、ミラノコレクション会期中に『サムソナイト』のアクティブウエアの展示会があった。ハイテク素材を使用し、パンツやベストに大きなポケットがついたアイテム群は、当時の『プラダスポーツ』(現『リネアロッサ』)に近い雰囲気だったが、スーツケースで有名なサムソナイトが、当時は画期的だったハイテク素材のジャケット、ベスト、パンツなど、旅をテーマに服を作ったということが世間の話題をさらった。「いったいこれは誰がデザインしているのか」。コレクション会期中、あちこちで話題になったものである。新人のニール・バレットがその人だと知ったのは、ミラノコレクションが終わってパリへ移動する時だったと思う。確かDNR(Daily News Record)かヘラルドトリビューンで知ったような・・・記憶が曖昧である。その時のショーはフロアショーレベルのもので、商品はあたかも旅支度のように会場に展示されていた。サムソナイトらしさを演出する構成は、見る者に強いインパクトを与えた。飛行機内用のエアピローやアイマスクなども作っていて、なかなか洒落ているな、と思った。
ニール・バレットは1965年、イギリスはデヴォンの地で、3代に渡りテーラー業を営んできた家庭に生まれる。1989年にロイヤル・カレッジ・オブ・アートを卒業し、メンズ・ファッションデザインの博士号を取得。この時の卒業コレクションが『グッチ』の目にとまり、その年、同社のシニアメンズデザイナーに就任。5年間をグッチで過ごしている。この間、トム・フォードのメンズデザインチームでも経験を積んだ。1994年にはグッチからプラダに移籍。メンズウェアコレクションのデザインディレクターを4年間務めていた。グッチ、プラダ両ブランドとも、メンズコレクションはまさにこれからという熱い時代に関わっていたのである。その彼がサムソナイトでデビューしたコレクションは、大々的に名前を発表はしていなかったが、世界中のバイヤーやジャーナリストの間で大きな話題になった。僕もその服が欲しくなった。
その翌年、1999年のミラノコレクションで、ついに、彼は自分の名前『ニール・バレット』で本格的なデビューを果たす。既に前評判が相当高かったので、彼のコレクションがどんな服になるのか、業界内で大きな話題となった。見てみると、ジャケットとベストがジップで繋がっていたり、スノボーパンツのようなハイテク素材のパンツがあったり、まるで、『ナイキ』と『プラダ』が合体したようなコレクションが発表された。
色めはほとんどがネイビーか黒で、全体的に都会的な雰囲気を醸し出していた。ポケットが大きかったり、ジップでアイテムを繋いだりと、かなりユニークなパズルのような服だったが、老舗の工場『アレグリ』と組んでいたおかげで、ハイクオリティーな作りになっていた。新人デビューのブランドらしからぬ完成度に、業界は話題騒然となった。
当時、僕はセレクトショップのバイイングを手伝っていて、『ニール・バレット』をバイイングしたくなった。ニール・バレットの営業にアポイントを取ろうと動いてはいたのだが、日本のバイヤーからの引きがありすぎて、なかなかまともに取り合ってもらえなかった。今思うと「どんだけー?」ってことなのだが、その時は、とにかくニール・バレット旋風がミラノで吹き荒れていた。
時は『グッチ』や『プラダ』など、ビッグメゾンの大ブーム真っ最中ではあったが、東京に限らず、パリ、ニューヨーク、ロンドンなどの業界人は、みんな才能のある若手デザイナーブランドを待望していたのである。
ニール・バレットの魅力は、イギリスのテーラーの血を受け継ぎながら、ミラノのビッグメゾン『グッチ』『プラダ』で修行を積んでいたところにある。僕は2000年から2006年くらいの間は、ニール・バレット本人と話す機会が多かった。彼は取材に協力的で、2002年に雑誌〈GULLIVER〉でロンドン取材をした時は街ガイドまでしてくれた。2005年に彼が東京へ来た時は、朝まで飲み歩いた。そしてその翌年は、ミラノの夜を案内してくれた。ミラノのクラブカルチャーは、音楽、客共に、ロンドンやニューヨーク、パリ、ベルリンとは違って、「イケてない」という印象だったが、彼の案内でクレイジーなゲイクラブを回ったりして、濃厚なゲイプレイを見ることができたのは得難い経験で楽しかった。最近は、どういった展開になっているのだろうか?
そういえば、中田英寿さん(以下、ヒデさん)とニールは仲良しだ。そもそも僕が紹介したのだが、一度、ニールがミラノで1月に二人の誕生日パーティーをしてくれたことがあった。2000年だったと思うのだが、ヒデさんの誕生日は1月22日。僕は1月25日なので、ミラノコレクション会期中にレストランの一角を貸し切ってくれたのである。とても楽しかったのだが、パリへ移動するのが1日ズレたりして、いくつかのメゾンのパリコレを見落とす結果になった。ニールも来日を重ねる度に、東京好きになっていた。デザイナーあるあるである。
今の観光都市ブームを見ていると、過去に親交のあるデザイナーやクリエーターが、来日の度に東京好き、日本好きになっていく姿を思い出す。僕の経験上、日本の魅力は「キチンとしている」ことだと思う。時間厳守、整理整頓、親切丁寧など、本来当たり前なことなのだが、それが当たり前というのは、世界水準で考えると異常に徹底しているのが外国人から見た日本であり、日本人なのだと思う。これは、日本人にとっても理想的な姿なのだが、グローバル化によって、それらが緩くなりつつあるのは僕としては残念だ。自分もまた、緩い方に流されやすいので、そうならないように気をつけたい。
ニールは、テーラーの3代目であることへの反逆精神からか、自分のコレクションを説明する時は、ジャケットなどのテーラーアイテムについて語ろうとせず、カジュアルなブルゾンやレザーアイテムについて推してくることが多かった。今回紹介するレザーのロングコートは、2010年あたりのコレクションだったと思うが、当時の一推しだったものだ。試着している時に「 マトリックス みたいだね」と彼に言うと、「そうそう、キアヌ、キアヌ」と反応していた。ほどなくして、食事に行ったレストラン〈BICE〉でローレンス・フィッシュバーンを目撃。「 マトリックス 」なミラノであった。
ミラノやパリのコレクション会期中に、ショー会場以外でハリウッドスターを目撃する機会も多い。みなさん、どこかのブランドに招待されてミラノ、パリに来ているケースが多いと思うのだが、それぞれプライベートタイムのため、着ている服や周りにいる取り巻きの様子が何だか目立つのである。凄く垢抜けている場合もあれば、残念なことにその逆もある。そうやって見た瞬間の様子は記憶に刻まれていくので、その後の印象もそれに引っ張られがちになる。仕事で見る姿以上にイメージに影響するので、やはりスターとその周りにいる人たちは、たとえプライベートであっても、自分のイメージ構築に多大なエネルギーを注がないといけないのである。大変だな、と思う。




■祐真朋樹(@stsukezane)
1965年京都市生まれ。マガジンハウス『POPEYE』編集部でエディターとしてのキャリアをスタート。現在は雑誌のファッションページの企画・スタイリングの他、アーティストやミュージシャンの広告衣装のスタイリングを手がけている。コロナ以前は、35年以上、パリとミラノのメンズコレクションを取材していた。