THINGS I LOVE vol.14
2025.10.09feature


バーバリーといえば、日本でも昔からトレンチコートが愛されてきた馴染みのあるブランド。1856年創業のイギリスの伝統あるブランドだが、日本では1970年から三陽商会とライセンス契約を結んでおり、1990年代には、日本での人気は本国以上のものになっていた。そんな中、グッチのトム・フォードによるリブランド大成功の勢いを横目に、1999年頃からバーバリーもリブランドがワールドワイドに展開されていった。
ちょうどその頃、僕は雑誌『POPEYE』や『MEN’S NON-NO』『MR ハイファッション』などで、バーバリー・ブラックレーベルのタイアップページのスタイリングをする機会が多かった。時にはコラボ商品なども作った。日本限定で三陽商会がライセンスブランドとして展開していたもので、当然イギリス本国とは違った商品なのだが、アイコンのトレンチコートなどは、日本の工場が優れていたため、本国のものと遜色ない仕上がりになっていた。僕は2001年頃に、ロンドンのショップでトレンチコートを作り、その後、日本でもオーダーメイドしで作っているのだが、どちらもそれぞれ素晴らしい仕上がりで今も愛用している。
1999年、新たにできたBURBERRY PRORSUMに招かれたのはロベルト・メニケッティ。彼はジル・サンダーでアシスタントデザイナーを務めていた人物で、クリエイティブディレクターに就任した。僕の記憶では、業界内の彼のクリエイティブに対する注目度は非常に高かったと思う。が、彼の自由奔放さは企業の方針にははまらなかったようで、2001年からはトム・フォードチームのグッチで働いていたクリストファー・ベイリーが引き継ぐことに。彼がディレクターに就任して二度目のミラノコレクションの際、僕はTV番組『ファッション通信』で彼にインタビューした。これが初対面だったのだが、彼とは最初から馬が合って、話しやすかった。
2000年から2004年頃までのコレクションレポートは、ミラノではクリストファー・ベイリー、パリではエディ・スリマンにインタビューできて、すこぶる楽しかった。が、しかし、クリストファーとはバーバリー・プローサムのコレクションに関しての話はいつも盛り上がっていたのだが、年に二度、ロンドンで行われるバーバリー・ブラックレーベルのミーティングとなると雰囲気は一変した。僕はこの頃になると、バーバリー・ブラックレーベルのタイアップページのスタイリングをする以外に、純広告のクリエイティブデイレクションもすることになっていたのだが、いつもはご機嫌なクリストファーが、この時ばかりは口数が少なくなり、やる気のない態度を見せた。僕としては、雑誌広告の方向性などを相談するために、撮影する服などを見せて話さなければならない。服のクオリティに不安があった僕にとって、それはかなり厳しい打合せだった。クリストファーは服のクオリティには一切口出ししなかった。ただ、「モノクロ写真で」「スーツでページ展開するように」とだけ、毎回同じリクエストをしてきた。その場に三陽商会のスタッフは参加せず、毎回、僕は通訳を交えながら2人でミーティングを行っていた。クリストファーと直接会えるのは嬉しかったが、毎回、満足のいくミーティングにはならず、ライセンスビジネスにおけるクリエイティブの限界を感じずにはいられなかった。
クリストファーの作り出すバーバリー・プローサムには毎シーズン着たくなるアイテムがあり、実際、それらを好んで着ていた。エディ・スリマンのディオール・オムと交互に着るような日々が2002年〜2005年くらいまで続いた。
ある時、クリストファーのロンドンショールームに会いに行くと、彼はトレンチコートを折りたたんで、クッション代わりにその上に座っていた。「どうしたの?」と尋ねると、「こうやってくたびれさせているんですよ」。トレンチコートはピシッと着るよりは、ヨレヨレの風合いの方が渋い。僕もこれは真似しようと思った。
クリストファーは、東京では帝国ホテルを定宿としていた。彼が日本に来ると、ワンパターンだが僕は羽澤ガーデンへ連れ出したり、友人数名を呼び出して原宿のモントークやカスバなどへお連れした。ちょうどTAKEO KIKUCHIのディレクターが菊池武夫先生から信國大志さんに引き継がれるコレクションの時期に来日していたこともあり、クリストファーはそれも見に来てくれた。僕はこのショーのスタイリングを担当していた。会場は開業したばかりのHotel CLASKA。相当なビッグネームが顔を揃え、ショー前後の賑わいはすさまじかった。ショーの後、僕はクリストファーを当時話題だった白金台の中華レストランへ連れて行ったのだが、どうもその日は味が今ひとつ。何のことはない、シェフが休みだった。クリストファーに事情を説明して詫びると、「大丈夫。僕はイギリス人だから味はわからないよ」と冗談まじりに返してくれたのはいい思い出である。






■祐真朋樹(@stsukezane)
1965年京都市生まれ。マガジンハウス『POPEYE』編集部でエディターとしてのキャリアをスタート。現在は雑誌のファッションページの企画・スタイリングの他、アーティストやミュージシャンの広告衣装のスタイリングを手がけている。コロナ以前は、35年以上、パリとミラノのメンズコレクションを取材していた。