THINGS I LOVE vol.16
2025.11.06feature


さて、前回の続きです。
真珠庵を訪ねた僕は、和尚に手招きされて裏庭に導かれた。なんと畑の真ん中に屋形船が置かれている。畑はあたかも川のように設定されていて、そこに屋形船が大胆に姿を現しているのだ。その船上で、赤ワインを持った和尚が七福神のごときニコニコ顔で手招きしている。
そして、和尚の横にはスナック勤め30年・・・のような濃いメイクをした女性(以下、ママ)が座っている。いったいこれは・・・と混乱しつつ、僕は招かれるままに船に乗った。そして、のらりくらりと話しだす和尚のペースにすっかり飲み込まれた。横にいたママは東京で毛皮のビジネスをしている社長らしく、話していると知り合いの名前がいくつか出てきたりして、話が盛り上がった。僕は若さ(青さ)も手伝って、和尚からすすめられるワインをガブガブと飲んでいた。調子に乗って、酔ったはずみで「大徳寺納豆は美味しくない」と僕が言うと、和尚は突然声を荒げて「アホ! おまえ、ほんまに大徳寺納豆食べたことあんのか!」と叱られた。そして「これが、ほんまもんの大徳寺納豆や!」と、すぐ横の畑で採れたゴーヤに大徳寺納豆をぶっかけて食べさせられた。「うまい!」。それまで食べた枯れた大徳寺納豆とはまるで違う、ブルーチーズのように熟した大徳寺納豆。それはゴーヤと相まって非常に美味で、赤ワインとも絶妙にマッチした。和尚と飲んでいると、真剣度を試されているような気になり、2本目のワインもガブ飲み。その頃には、僕の酔いは緊張も重なって最高潮に達していた。
何をしに来たのか、すっかり曖昧になってきた時に、和尚は「ほな、俺の部屋へ来い」と船から降りて、真珠庵とは反対方向にある建物へ歩いて行った。心の中では、「僕が見たいのはそっちじゃなくて〜・・・」と叫んでいたが、もうどうしようもない。和尚の後を追って2階に上がると、そこは素晴らしい音響設備が整った部屋。大音量でジャズを聴くための部屋とのことだった。そして、最大限広く取られたガラス窓の向こうには、庭の竹林がパノラマのように広がっている。研ぎ澄まされた大音量も影響して、風に靡く竹林がドラマチックで超絶美しかった。そしてそこでは、和尚選りすぐりのグラッパとヴィンテージウイスキーを飲まされ、僕は完璧に一丁上がりとなった。
と、その時、和尚の右腕である黒々と日焼けした真珠庵の庭師さんが登場。和尚は「約束がある」と、その場を去り、僕はママと一緒に庭師さんに連れられて祇園のカウンター懐石へ。かなり酔ったままの状態で料理を食べて、酒を飲み、その後は、宿泊先の京都ホテルまで送ってもらい、部屋に着くなりぶっ倒れた。夜中に目が覚めた時は、ホテルの部屋の天井を眺めながら「あー、真珠庵」とため息だけが出た。翌日、先輩に連絡をし、「真珠庵は諦めます。が、孤篷庵で何とか頼めませんか?」と言うと、先輩は「聞いてみるよ」。その後、孤篷庵は二つ返事でOKをくれた。肩透かしのような気持ちだったが、とにもかくにも、同じ大徳寺内にある小堀遠州の庭で、そこの有名な塔頭である。ここならトーマスも気に入ってくれるだろうと、胸をなで下ろした。
数ヶ月経ち、トーマスは彼のパートナーとPRスタッフ、計4名で京都入り。僕は一足先に宿舎である俵屋入りをし、浴衣に羽織りの旦那姿でお出迎えをした。トーマスは俵屋へは一度泊まったことがあるようで、大変楽しみにしてやって来た。チェックインを済ませ、まずは俵屋が経営している天ぷら屋さんでランチ。その後、大徳寺の孤篷庵へ向かった。孤篷庵の設えにいちいち感動するトーマスを見て、心が和らいだ。塔頭内から庭を眺めていると、なんとトーマスが、小堀遠州がこの庭を造ったコンセプトを説明してくれた。僕はトーマスが何を話し出しているのかと思ってポカンとしていたら、案内してくれた年配の和尚が通訳さんの話を聞いて「トーマスさんの言われるとおりです」と感心しながら言った。さすがトーマス。禅寺マニアだけあって、日本人の僕よりずっと孤篷庵のことを知っていたのだ。もちろん予習してきたのかもしれないが、何だか自分が無知で恥ずかしいと思ったし、彼がそんなにも興味をもってくれていることに嬉しさが募った。とにかく、孤篷庵に連れて来れてよかったと思った。真珠庵はまた今度、と思いながら、以来、あの和尚さんとは会えていないままだ。またいつかどこかで会いそうな気がしているが、まだ、再会は叶っていない。
トーマスの大徳寺見物&撮影は大成功だった。翌日は骨董品店巡りをした。新門前や古門前付近を徹底的に巡り、夕方に「イノダコーヒ三条店」でアフタヌーンティーのような遅いランチをした。すると、トーマスがイノダコーヒのケーキのショーケースに感動し、暫くのぞき込んでいた。何がそんなに魅力的だったのだろう。とにかく、おやつをのぞき込む少年のような眼差しで、彼はショーケースに見入っていた。そして、席に着くとレモンパイを気に入って、2ピース平らげた。イノダコーヒが彼に響いたようで嬉しかった。
マイアミ、京都と旅をしたトーマスからは、多くのことを学んだ。彼の美的センスは、最初からトムやリチャードが太鼓判を押していた。このふたつの旅で、僕はトーマスの感覚が一流のものであるということを深く理解した。トーマス・マイヤーがブランドを離れて8年くらい経つが、ボッテガ・ヴェネタのリブランドは、トーマス・マイヤーの揺るぎないセンスによって礎ができたことは間違いないと思う。





■祐真朋樹(@stsukezane)
1965年京都市生まれ。マガジンハウス『POPEYE』編集部でエディターとしてのキャリアをスタート。現在は雑誌のファッションページの企画・スタイリングの他、アーティストやミュージシャンの広告衣装のスタイリングを手がけている。コロナ以前は、35年以上、パリとミラノのメンズコレクションを取材していた。