THINGS I LOVE vol.13
2025.09.25feature


2004年、ランバンはウィメンズのクリエイティブ・ディレクターをしていたアルベール・エルバスの元、メンズコレクションを発表した。メンズに関してはそのほとんどをルカ・オッセンドライバーに任せるというスタンスを取ったが、これはそれまでのラグジュアリーブランドにはないパターンだった。ウィメンズラインを発表してきたブランドにメンズが追加されるというのは、パリコレブランドとしてはよくあることだが、メンズとウィメンズがそれぞれ別のディレクターによって作られるというスタイルの先駆けとなったのがこのランバンだったと思う。
その頃、僕のディオール・オム熱は急激に冷め始め、代わりに惹かれてきたのは真反対な世界観のジョン・ガリアーノのメンズコレクションだった。彼のクリエイティブは、当時の主流ともいえるミニマリズムとは真逆で堂々の「マキシマリズム」。そぎ落とすのではなくて、どんどん付け足していくデザイン。80年代後半のロメオ・ジリ ブーム以来、僕は基本、ミニマリズム志向だったのだが、ディオール・オムへの熱狂後にリバウンドのように僕を襲ってきたものは、ジョン・ガリアーノのゴテゴテ感だったのである。
何事にも二項対立というものがある。例えばファッションの世界であれば、ある時代のジョルジオ・アルマーニに対してジャンニ・ベルサーチ。建築なら、桂離宮に対して日光東照宮。茶の湯の世界では、千利休が好んだ楽茶碗に対して古田織部が残したへうげものなる陶芸品。どんな分野でも、削ぎ落とししていく世界観と付け足していく世界観があり、ある意味、それらは表裏一体として進化してきたのだと思う。僕の感覚から言うと、ミニマリズムはモダンで都会的。マキシマリズムは野暮で田舎くさい。これは一般的なファッションの見え方でもあると思う。
80年代末期から、僕はロメオ・ジリ、ヘルムート・ラング、プラダ、ラフ・シモンズ、ジル・サンダー、ディオール・オム・・・等々の合間にドルチェ&ガッバーナやグッチを着て、果てはイヴ・サンローランにまで手を出していたのだが、それらのブランドは、時として冒険的なデザインも提案するが、あくまでもミニマリズムを基本に置いてデザインされてきたと思う。そんな中、2006年、当時僕が編集長をしていた雑誌「ファッションニュース・メンズ」でジョン・ガリアーノにインタビューをする機会があり、それを契機に彼の志向に俄然興味を持つようになった。彼は初対面の僕に対し、いきなり「私のような天才と話ができて、君は幸運だね」と言った。その時の彼は頭の先から爪の先までキメッキメであった。メイクもばっちりで、足を組み、一点を見つめ、微笑んでいた。クールな雰囲気を作ってはいたが、なにせショーの直後である。彼は汗だく。濃いメイクは崩れかけ、汗まみれの裸にジャケットを纏っていた。傍から見れば、ちょっと笑ってしまいそうなコミカルな状況だったが、僕は一瞬にして彼の世界に引き込まれた。彼は完璧に「ジョン・ガリアーノ」を演じていたのである。それが僕には嫌な感じには思えず、むしろ好感を抱いた。この人は削ぎ落とし志向の真逆を堂々とやっている。その潔さ、そしてクスッと笑えるところに大きく惹かれた。
そもそも、削ぎ落とし=センスがいいという概念に、僕は納得がいってなかった。ミニマリズムは一見大きなチャレンジに思えるが、当時の僕には、言い訳がましい逃げの姿勢にも思え、結果、退屈であると解釈していた。そこには遊びがない。遊びっぱなしというのも問題は山積みなわけだが、ファッションやデザインには遊びがないと価値がない。そんな僕の若くて青い心に、ジョン・ガリアーノ氏の精神はズバッと強力な刺激ビームを放ってきたのである。
インタビューの翌日、僕はフォーブル・サントノーレにできたジョン・ガリアーノの店でデニムのナポレオンジャケットとミリタリーパンツを購入した。僕はすっかりジョン・ガリアーノに洗脳されていたのだが、ミリタリーパンツには付属品が多すぎて、結局僕には着こなせず、アバクロンビー&フィッチのミリタリーパンツを合わせて着ていた。
ちょうどその頃、ランバンのコレクションラインにも興味がわき、「ファッションニュースメンズ」でルカ・オッセンドライバーにインタビューをした。ディオール・オムでエディ・スリマンのチームでの経験を積んだ彼のクリエーションは、ランバンのアーカイブから編み出されつつもディオール・オムの世界観を進化させているようにも思え、デイオール・オム狂だった身としてはすこぶる受け入れやすいものだった。
ガリアーノとランバン。僕はふたつの全く異なる世界観の服に、アバクロンビー&フィッチやリーバイスレッドを組み合わせたりして着ていた。“デイオール・オム狂い” が去った後の僕のモード熱は、とても1ブランドには絞れない、混沌とした状況に突入していくのであった。









(右)ダークスーツに派手な足元。コパーカラーで遊びが効いてます。

■祐真朋樹(@stsukezane)
1965年京都市生まれ。マガジンハウス『POPEYE』編集部でエディターとしてのキャリアをスタート。現在は雑誌のファッションページの企画・スタイリングの他、アーティストやミュージシャンの広告衣装のスタイリングを手がけている。コロナ以前は、35年以上、パリとミラノのメンズコレクションを取材していた。